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木を切る日本の人々

2000年04月12日(水)
萬晩報通信員 松島 弘




 雨風しのぐ



 曲がりくねり うねりうねる 道を登りつめれば

 新陳代謝で 汗がふきだす

 ひざが笑い つかの間の 木陰で腰おろす

 ふいに鳴き出した 蝉 かまびすし



 雨風しのげる家がある 山の上 山の上

 商いの荷物の舟を出す 川下る 川下る



 季節めぐる歌 歌え

 昔から変わらぬ歌 歌え

 「街路樹の剪定」と称して、あちこちで木の枝がバサバサ切られている。若い枝が葉っぱごと切り落とされ、枯れ木のようになる。切り口が角ばっているのでとても人工的だ。見ていると指をつめられたような気持ちになる。

 枯葉が道に散らばらないように、そして虫が発生しないようにやっているのだろう。だがはなはだ不快だ。そして痛々しい。

 私の友人たちはたいてい不快に思っている。と思ってたら、「切った方がいい」と思っている人もけっこういるのだ。私の父親もそう。「枝を切れば日当たりがよくなるし、枯葉も掃除しなくてすむ」と言う。

 我が家のとなりの畑では先日、所有者のおじいさんとおばあさんが畑を軽く耕した後に、まわりの背の低い松の木の枝を、さみしいくらい切り落として行ってしまった。松ぼっくりもたくさん落ちていた。

 ある程度の年齢以上の方たちは、木を切ることにあまり抵抗がないように思える。かつて、木はたくさんあったから、木が切り倒されることに「開発→発展」を感じるからなのだろうか。もしそうだとすれば、熱帯雨林の乱伐も、同様になされているのかもしれない。でもそれじゃ、まずいでしょ。

 逗子に住む友人が一時期、逗子の森を守る署名活動をしていた。しかし実際に森の中ほどに家を建てている人を訪ねると、署名を拒否された。「森の中は湿っぽくて、いろいろなものが腐りやすかったり、家が傷みやすかったりするから森は好きでない」のだそうだ。

 たしかに住んでみればそうなのでしょう。だから森がなくていい、というのはまずいでしょう。

 だいたいあまり枝を切りすぎると、木は本当に枯れ木になってしまう。地中から水分を吸い上げにくくなるからだ。木が水分を吸い上げるシステムは、主に2つの現象によっていて、ひとつは浸透圧(※)で、もうひとつは葉の蒸散作用だ。蒸散作用は、葉の表面が水分を蒸発させるシステムで、これにより水分を吸い上げる力を助けることになる。

 また、森の中などがすずしくてさわやかな感じがするのも、この蒸散作用のおかげであり、葉を渡る風が空気を冷却するのだ。葉っぱごと枝を切り落とすと、蒸散作用がまったく行われなくなり、水分吸収力が鈍るのだ。余談だが、二酸化炭素を分解して酸素を吐き出す光合成も行われなくなる。

 我が家のとなりの枝を切られた松は、枝の切り口をよく見てみると、一生懸命吸い上げた水で濡れていた。この水の行き場はない。そのうち切り口は枯れて、湿ることはなくなるだろう。こういうものを見るのが痛々しいのだ。

 細野晴臣氏は若い頃、「アスファルトの道の下に植物の種があったら、芽はどうなるのだろうか?」と思い始めたら、つらくてしょうがなくなっていた時期がある、と言っていた。それに続けて「元気な人、強い人は、そういうことを考えても大丈夫なのかもしれないが、僕はその時とても気弱だったので、その考えに打ち負かされた感じになってしまった」とも語っている。

 でも、その「元気だから平気な人」が、その後もずっと「平気だから」、ついに木々を切り始めてしまった、という気がしてならない。どこでも平然と木が切られている。木を切られないようにするには、もう街路樹をすべて桜の木にするしかないのではないか(日本人は桜は切らないだろう)。

 やはり少しは「木を切ることがつらい」という気持ちを持ち合わせるべきだ。だって、犬の脚だったら切らないでしょう?

 締めの文句。木をやむなく切ったら、薪にするか、それで何か作るべし。同様に、やむなく動物を殺すときは、食べましょう。死を、ムダにしてはいけない。


 モザイクアフリカ



 心の中には モザイクのような

 織り込まれた 昔の記憶がある

 それは時々 顔を出して

 炊き込み御飯のように 湯気をたてるよ



 食べることも 歌うことも 愛することも

 生き物の醍醐味

 食物連鎖 適者生存 生き物の織り成す

 モザイクアフリカ


※浸透圧の説明を書こうと思ったのですが、私が把握していた内容が不正確でした。
松島のおすすめとして、下記ページを参考にしてください。

森田保久の高校生物関係の部屋  http://village.infoweb.ne.jp/~yasuhisa/hisa1.htm

松島さんにメールはkutaja@parkcity.ne.jp


【萬晩報評】街路樹の剪定は本当に悲しいことです。とくに紅葉を間近に控えたイチョウ並木が丸裸になる姿は痛ましい。驚くべきことに街路樹の剪定は多くの場合、地域住民の苦情でやっているということです。自然に感謝すべきところ、「苦情」ですから開いた口が塞がりません。日本人のこころの貧しさを象徴する行為だと思います。(伴 武澄)

去年書いた下記のページを読んで下さい。
1999年09月21日 社員全員に「木を植えた人」を贈った社長


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